読書のすゝめ(前編)

読書時間ゼロの大学生が全体の過半数という記事

https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASL2V5W7WL2VUTIL04Q.html

 

これを読んだ時、心底馬鹿にしたのを覚えている。読書しない大学生なんているわけないだろう笑。

何を隠そう、今この文章を書いている主は無類の読書好きである。古典文学からミステリーまで何でも読む、まさに雑食だ。小・中学生時代には朝読書の時間以外にも、図書室で様々な本を借りて読んだのを覚えている。

しかし、いざ自分の去年一年間の生活を顧みてみると……あれ?去年一冊も本読んでなくね?

ここにいました。

いや、違うんです。これには訳があるんです。去年の暮れまで資格試験の勉強が忙しくて、本を読む時間がなかったんですよ……はいはい、言い訳乙。

まあ私に限らず読書時間ゼロの最たる原因はこの一言に尽きるでしょう。

本を読む時間がない

大学生は意外と多忙なんです。バイトにサークル、ゼミのレポートに追われて暗い顔でパソコン打ってる人も見かけます。わあい大学生活楽しい。

だからと言って、大学生が本を読まないのは良くないと思うというのが私の本音なわけで……。

今回は大学生に対する"読書のすゝめ"をしていきます。

 

  1. 読書とはなんぞや

「読書ってなんですか?」

とても漠然とした質問だが答えは簡単。

「本を読むこと」

これ以外の答えを挙げる人はまずいないでしょう。では次の質問。

「本の範囲はどこまでか?」

うーん、これは答えが複数ありそう。勘のいい人は薄々気づいていると思いますが、ここで論点となるのは漫画やライトノベルが読書における本に該当するかです。

育った環境や個々の見方で当然異なりますが、世間一般で言う「本」には、これらの類のものは含まれていないことの方が多いと思います。

ただ、私の考えはちょっと違います。少し例を使って説明してみます。

  • 小説の場合

 友人からの電話を受け、私は彼の自宅へ向かった。電話ごしからでも伝わる重々しい雰囲気に、彼にただならぬことが起きていることは容易に想像できた。4階建てのアパートの3階、彼の部屋がある302号室へ急ぐ私。一段登るごとにギシギシと軋む階段が私の不安をさらに扇いだ。必死の思いで辿り着いた302号室。私はドアノブに手を伸ばす。なぜか鍵が掛かっておらず、「ガチャ」という音と共にドアは開いた。真っ暗な部屋の中で、パソコンの明るい液晶画面に照らされた一人の男の姿。それは間違いなく彼である。私は恐る恐る彼に呼びかけながら近いた。しかし彼は微動だにしない。ふとパソコンの画面が私の目に止まった。そこには心電図のような折れ線が映し出されており、その軌道は大きく右に下がっていた。ああ、そういうことか。私は視線を戻すと、彼の顔を覗き込んだ。そこには魂を抜かれたかのような虚ろな目をして、失神しかけている友人がいた。そう、彼はfxで有り金を全て失ったのだった。

 

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  • 漫画の場合

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本当はちゃんとした漫画のコマを使いたかったんですが、著作権的にアレなんでイラストです。実際に先の文章を漫画に起こすなら、電話のシーンや階段を登るシーン、声をかけるシーンなどは必ず描かれるでしょう。最後の表情の文章に該当するのが、このイラストです。私はこのイラストを見て「魂を抜かれたかのような虚ろな目をして、失神しかけている」と描写しました。皆さんならどのような表現を用いますか?

 

「こんな長い上に稚拙な文章を読ませて何が説明したいんだ!!」と怒られてしまうので、さっさと結論に入ります。

本の代表格である小説の多くは、登場人物の会話文と地の文で構成されています。地の文は、会話だけでは分からない登場人物の細かな心理状態やその場の状況を叙述する役割があります。

一方漫画では、会話文とごく稀にナレーター風の文が出てくるだけで残りの描写は全て絵で行っています。

 

すなわち小説と漫画の違いというのは、心理描写や状況説明に地の文を用いるか、絵を用いるかに過ぎないということです。

実際に先ほどの例で言えば、「fxで有り金を全て失った」状況を、小説では「魂を抜かれたかのような虚ろな目をして、失神しかけている」と地の文で表現し、漫画ではムー○ンの絵のように表現するということです。

小説が地の文を読んで、その場の雰囲気を頭の中で構築しながら物語を味わう方法だとすれば、漫画は絵から直接的に状況を掴んで物語を味わう方法。小説と漫画の根っこは変わらない、要するに好みの問題だというのが私の考えです。

 

しかし、これだけで済むなら全国の図書館に漫画が置かれてるはずですよね。日本のお偉い様たちは口を揃えてこのように反論してきます。

「活字を読まないと読書の意味ないでしょ」

まあ、そりゃそうだ。この意見に関しては私も間違ってはいないと思います。活字を読むことで、文章ならではの言い回しや表現を知る機会は多いでしょうし、文章の意図を正確に把握する能力も身につきます。

 

しかし、私は声を大にして言いたい。

「そんな理屈詰めで本読んで楽しいの?」

読書の意味?そんなの知りません。私は、こと小説に関しては面白さが全てだと思っています。先ほども書いたように、本の形式の好き嫌いは必ず存在します。どうしても長々とした活字が苦手だという人もいるだろうし、私みたいに小説の独特な雰囲気や余韻が好きだという人もいるでしょう。

それをわざわざ「漫画は活字じゃないから〜」「漫画は読むではなく、見るだから〜」などと、こじつけて誰が得するんですかね……。

そんなんだから最初の記事みたいに本離れが進んだり、センター試験で出題した文章の著者から文句言われるんだよ(暴論)。

とにもかくにも、漫画ライトノベルでも読書における本に該当するだろう」これが私の結論です。

このように考えてみるとどうですか?読書ってそんなに大変なことじゃないと思えてくるでしょう。

最初は漫画から入って、段々と読書に慣れてきたら少し長めの推理小説でも読んでみると、予想以上にスラスラ読めたりします。

逆に漫画を本なんて認めないという人も、漫画を読んでみると案外ストーリー自体の重厚さが小説と大差ないことに気がつくかもしれません。

読書において一番もったいないことは、食わず嫌いをしてしまうことだと私は思います。是非とも凝り固まった価値観に囚われず、様々な書物に触れて欲しいです。